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ノリックこと阿部典史 一般道で事故 急逝

今季JSB参戦中だった阿部典史選手が、7日PM6:30ごろ川崎市で大型スクーター049 (500cc)を運転中、Uターンしようとしていた4トントラックと衝突。
病院に運ばれたが胸などを強く打っており、約二時間半後に亡くなったようです。

先ほど知りました。。。

ノリックは、故加藤大治郎らとミニバイクレースに明け暮れ、1991年に15歳で単身渡米。
ケニーロバーツの元でダートトラックレースを学び、帰国後本格的にロードレースに参戦。
18歳だった93年には、全日本ロードレース選手権の500ccクラスで史上最年少チャンピオンとなりました。
ヘルメットから自慢のロングヘアーをたなびかせて、前輪、後輪ともスライドさせる激走ぶり。
その荒削りで豪快な走りっぷりは、日本人ばなれした魅力にあふれ、ダートトラック上がりの実力をまざまざと見せつけてくれました。

その後、94年から二輪レースの最高峰である世界ロードレース選手権に参戦。
この時の日本GPは、初参戦ながらケビン・シュワンツ、マイケル・ドゥーハンという強豪を向こうに回し、トップ争いを繰り広げ若干リードを広げ逃げ切れるかと思った矢先、残り3周の1コーナーで豪快に転倒。
結果はリタイアでしたが、この活躍が世界中に放映され一躍有名になり、レイニーに見出されました。
たしか、あのバレンティーノ・ロッシがノリックのファンになったのも、このレースがキッカケだったと思います。

96年には鈴鹿サーキットでの日本グランプリで初優勝。
日の丸を持ってウィニングラン、その後号泣していたのが昨日のことのように思い出されます。

その後、同選手権では3度に渡って優勝。
「日本人でも世界の500ccで勝てるんだ」ということを身をもって教えてくれた、数少ないレーサーの1人でした。

事故現場は片側二車線の直線道路でUターンは禁止。
事故発生当時は意識があり、救急隊員に名前などの受け答えをしていたらしいのですが。。。

残念で残念で、今でも信じたくありません。
沼田憲保さんに引き続きノリックまで・・・

日本のロードレース界は、またひとり大きな財産をなくしてしまいました。
このような悲劇が二度と起こらないことを、願ってやみません。

心よりご冥福をお祈りいたします。

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